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第42話 60の手習い|データベースの開発・構築ならデジログへ

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第42話 60の手習い

今月から習い事を始めた。
趣味的にいろいろ始めたことは数知れずあるが、月謝を払い先生について指導を受けることは、小学生時代の「そろばん」以来である。
「そろばん」は親に言われて通ったことを考えれば、自分の意思で始めたものは人生初と言える。
いわゆる「60の手習い」である。
今まで、習いたいと思っていたことは、「料理」「英会話」「ピアノ」「乗馬」等であったが、
今回始めたものは「三線(さんしん)」、言わずと知れた、沖縄の音楽には無くてはならない蛇味線とも呼ばれる絃楽器である。

私と「三線」の出会いは、さかのぼること10年以上前になる。
娘が小学生に上がる頃から、毎年夏休み恒例の行事として、連れだって沖縄旅行に行っていた。
東京以外で唯一住んだことのある地が沖縄である私にとって、勝手に沖縄を自分の故郷として、お盆の時期に帰郷するような意識で、また都会暮らしの娘に特に離島等の大自然に接して欲しいという思いもあってのことであった。
従って、ほぼ1週間の休暇では、まず西表島や波照間島等の離島で、サンゴ礁の海や熱帯雨林のジャングル、マングローブの川等、自然を満喫し、その後私の暮らしていた、沖縄本島北部に移動する旅程が定番であった。
娘が小学校4年生の時の旅行もその定番通り、本島北部に移動し、宿に入り荷物を置いて、昔お世話になった方々に挨拶に出かけた。
ちょうど、そこでは夏休みの体験イベントが開催されており、サンゴ礁ウォッチングやショートクルージング、バナナボートの他、琉球文化に触れる様々な体験コーナーがあった。
早速それ等に参加しようと、娘に何をしたいか聞いてみた。
やはり沖縄に来たのだから、アクティブな海のメニューか・・・、
と思いきや、
琉球文化に触れる体験コーナーで「三線体験」をやりたいと言う。
娘は、特別に楽器の経験があるわけでもなく、沖縄の音楽に興味を持っていたわけでもなく、また、私も「三線」はそれまで沖縄ではよく聴くことはあっても、ほとんど興味も無かったのだが、
娘にはなにやら感じたらしい。
意外に感じながらも、親子で三線初体験である。
持ち方、ちる(絃)の押さえ方、つめの使い方や「工工四(くーくーし―)」と呼ばれる楽譜の読み方等、まさか夏休みに沖縄に来てこのような「習い事」を体験することになるとは夢にも思わなかったが、娘と一緒に、まさに同じレベルでの初体験は、とても新鮮で心地のいい時間であった。
また、三絃でギターのようなコード押さえもなく、直ぐにそれなりに「沖縄の音」を奏でられたのが、小学生の娘にも馴染みやすく、初心者親子にとっていい「うちなー体験」ができた。

その旅の最終日、帰京の前に那覇の国際通りでお土産を見て回っているとき、「三線屋さん」が目に入った。
飛行機の時間まではまだ間があったので、少し「三線」を見せていただこうと店に入った。
「見るだけですがいいですか?」

波照間島にて 後富底周二さんの星空三線ライブ

  「どうぞ、どうぞ」 

快く向かい入れてくださる。
もちろん、買う気など全く無く、単に暇つぶしである。なにせ、たった小一時間体験しただけなのだから。
二人とも、1時間程度の体験でそこそこ音を奏でられたことをいいことに、いろいろな三線を手に取って「初心者」の音を出す。
店員さんには、「ほんの3日前に体験で三線を弾いただけ」と伝える。
そこには、数十万円のものから数千円のカンカラ三線まで置いてあり、また店員さんの話しをうかがいながら金額とは関係なく様々な音色があることを知る。
娘がチルを弾く音が店内に響く。

昔は、地元のハブの皮で作っていたそうであるが、現在の蛇味線はほとんどニシキヘビの皮を使用しているとのこと。ほとんどが養殖モノであり、使用する部位や模様によっても音が違うそうである。
遠目には蛇皮に見えるが、単に模様をプリントした布を張ってあるものもある。
いろいろと店員さんの説明を、興味深く(時間つぶしにではあるが)聞いてた。
  「どうですか、この音の違いわかりますか?」
たまたま、その時娘が手にしていた三線と、隣の三線を弾く店員さんの音を聴き比べる。娘が手にしている方が音が濁っており、もう一本の方が明瞭であることが、ど素人の我々にもわかる。皮の張り方でも音が変わるのだとか。
値札を見ると、この2本は金額もほとんど変わらない。
当然、音がクリアな方がいいと思っていたが、この濁った音が好きな人も多いのだそうだ。
そう言われてよくよく聞くと、確かに濁った音のほうが沖縄っぽい味があるようにも感じる。
「三線」も奥が深いものである。
体験で弾いた「きらきら星」をぎこちなく奏でる娘に、そろそろ空港に向かおうかと促すと、

  「せっかく体験されたなら、ご自分のお土産に「カンカラ三線」でもどうですか?」
と店員さん。「カンカラ」をとって音を奏でる。
金額を見ると7,500円。
音は軽いが曲がりなりにも「三線」と名のついているモノ、不思議とちゃんと沖縄っぽい。 

全く予定外ではあったが、「カンカラ」では無く、先程娘が手にしていた「音の濁る」三線(つめ・ケース付き)と、楽譜、三線立て、チューナー等、必要なモノをフルセットで購入。どうせ買うのであれば、単なる「お土産」ではなく、ちゃんと楽器として続けられるモノにしようと考え、そこそこお金をかけることに。(私の持論)
基本的に私は衝動買いはしないタイプであるが、「三線体験」から「フルセット購入」まで、全く予期せぬ行動であった。
その後、しばらくは娘ともども「体験」で習ったことを思い出しつつ、その気軽さから自己流でメロディーを奏でる。

ここ数年は、ヨットに乗るとき持参し、港で泡盛片手に弾く程度であり、しかるに、三線を購入して10年以上にはなるが、その間ずっと自己流で、「工工四」(楽譜)も見ずに、自分でメローディーラインをなぞるだけであったが、レパートリーは10数曲に。
他人に聴かせるのでは無く、自分で沖縄気分に浸りたいだけなのだから、それでも十分である。
「上手くなりたい」と思ったことが無い、わけではないが、下手な三線でも、曲にならなくても、弦を奏でるだけで、娘とよく行った沖縄の思い出を回想させてくれる。

そんな細~く、長~くの三線との付き合いが続き、昨年秋のことである。
男絃(うーぢる)という1番太い絃を切ってしまい、通販で絃を調達して張り替えをしたところ、カラクイ(糸巻き)がクルッと戻ってしまう、すなわち糸巻きが緩く絃が巻けないのである。それまでは、何も問題無く調絃できていたのに。
今までも女絃(みーぢる/一番細い絃)は何度となく切っており、都度自分で張り替えてきたので、こつは分かっているつもりであったが、巻き方を逆にしてみたり、他の絃を全部緩めて締め直したり、またネットで調べて「カラクイの緩みには墨を塗るといい」とあったので、試しにやってみるものの、ほとんど効果が無い。
いよいよ自分ではギブアップと、随分以前にお世話になったことがある、駅前の和楽器専門店に行くことに。
偶然ではあるが、最寄の駅に三線の修理をしてくれるお店があるとは、なんと恵まれていることか。
三線をケースに入れお店に向かうが、その楽器店が見当たらない。
隣のビルにいた方に聞いてみると、もう数年前に移転したのだとか。
「・・・・・!」
やむなく、近くで「三線」の修理をしてくれるお店を調べてみたところ、3駅隣にあることが分かった。
そんなに頻繁に弾いているわけでは無いので、シーズンの夏前までに何とかしようと放っておいた。

一本絃の締まらないままの「三線」は何となく気がかりであったが、そのまま歳を越して去る2月20日の土曜日。この日は、午前中から冷たい雨が降り、2週間前から予定していた屋外の作業ができず、家でダラダラと過ごしていた。そんな折、夕方、たまたまテレビ番組で3つ先の駅前近辺が取り上げられているのを見て、ふと三線を思い出す。
直ぐにネットで営業時間を調べると、定休日は水曜日、営業時間はなんと23時半まで。
「思い立ったが吉日」とばかり、早速「三線」を持って3つ先の駅に向かう。

その駅は何度も来た事があるので、土地勘は十分にある、ハズであったが・・・。
地図を見ながらお店を探すも、「沖縄料理屋」はあるが、それらしい楽器屋さんは見当たらない。怪訝ながらも、薄暗いその「お店」をのぞいてみると、壁にはショーケースがあり「三線」が飾ってある。もしやと思い、営業中の「料理屋」に入ると、果たしてそこは目的の「三線屋さん」であった。
沖縄料理店には数知れず行ったことはあるが、お店の中に「三線屋さん」がある状況は初めてである。
(逆に考えると、三線屋さんで飲食ができるということ、か?)
これなら、23時半まで営業、ということもうなずける。
少々戸惑いながら、お店にいた「お姉さん」に三線の状況を説明し修理をお願いすると、
  「カラクイの調整は削りが必要なので直ぐにはできませんが、みるだけみてみましょう」
お店(飲食店)の営業中、お酒を飲んでいるお客さんがいる中、自分一人が場違いな状況であるが、そのお姉さんが直ぐに対応してくれる。
  「たしかに、ちょっと緩いですね」
他の絃も緩めて、一絃一絃丁寧に巻いていく。
  「あれ、巻きが逆ですね」
いろいろと試してみた時、逆に巻いたままだった(汗)。 

  「少し緩いですが、なんとか留まりますね」
あれだけ苦労し、どうやっても緩んでしまっていたカラクイが留まり、ちゃんと音が鳴る。
やはりプロフェッショナル、職人技ということか。

  「いつも調弦は本調子ですか?二揚げですか?」
「はっ?」
訳のわからない言葉に戸惑っていると、
  「じゃあ、合っているか、ちょっと弾いてみてください」
問題無く、いつも通りの調弦であった。
その調弦の意味を訪ねると、自分の声の高さに弦を合わせるのだそうだが、全ての弦を同じように上げ下げするのではないらしい。
三線を弾く人は、皆自分の声に合わせた調弦をもっているのだとか。(弾く曲によっても変えるそうである)
一般的には「本調子」か「二揚げ」という調弦が多いらしい。
なるほど、そんな基本的なことも全く知らずに弾いていたわけであるが、当然といえば当然である。たった小一時間、体験で習っただけなのだ。歴は長いが、知識は全くの初心者と変わらないのである。

聞けば、そのお店、三線教室もやっているとのこと。
チラシを見ると、しっかり本格的な音楽教室のようで、様々なイベントもあり活発に活動していることがうかがえる。
新宿の行きつけの「沖縄料理屋」で、「ねえね」が片手間に教えているのとは違いそうである(失礼)。
とりあえず、「今度は島酒を飲みに来ます」と言って、今日の修理代を聞くと、
「巻き直しただけなのでいらない」とのこと。20分以上対応してくれていたのに・・・、感謝!
お礼を言って店を出て、その2日後、会社帰りに古酒を飲みに再訪した。

先日のお姉さんが、厨房で料理を作っている。
お店もさることながら、いったい、このお姉さんは何者?
料理も作りお酒も出す。三線も直す。接客もする・・・。
店長さん? 料理屋の? 楽器屋の?
細かいことは気にせず、料理の合間に三線に関することをいくつか聞いてみる。
いかに自分が三線のことを知らないかを思い知り、その場で、月2回の三線教室に申し込みをする。

その翌週の日曜日、
三線教室の初日、沖縄料理店兼三線屋さんに行くと、
いつものお姉さんが出迎えてくれる。
予想はしていたが、やはりそのお姉さんが、三線教室の先生でした。
今度、本業は何かを聞いてみよう。

いろいろな偶然、タイミングが重なり、全く予期せず、56歳にして習い事を始めることになったわけであるが、考えてみれば、もともとは、娘の思いがけない行動から始まったことで、それがこんな縁になり、習い事にまで発展するなどとは思いもよらないことであった。
自己流のクセも一から修正し、三線の持ち方や弦の弾き方までも違っていたことを知り、結果として出る音がこんなにも違うものかと、改めて驚く。
ことわざの如く、いくつになっても習い事を始めるのに遅いということはないことを実感する。、

これからの三線との関わりは今までとは異なるものになると予想はできるが、今後どのような展開になるのか、全くわからない。
しかし、おそらくは一生の付き合いになることは間違いあるまい。


日付2016/03/24

投稿者半澤 透

ブログ-四方山話-



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