MENU

第10話 些細な幸せ|データベースシステムのデジログ/digilog

English

ア ク セ ス

第10話 些細な幸せ

平成5年登録(購入)で丸18年乗り続けている我が車。
購入に際し私が選択するポイントは、エンジン馬力やデザイン性、フォルム等ではなく、一にも二にも機能性。
その時点での自分のライフスタイルや使用目的に合った機能性を重視する。
当時は(18年前)、車を仕事で使用することはほとんど無く、もっぱら休日のアウトドアライフに使用することがほとんど。
(それまで乗っていた車もアウトドア仕様の軽のワンボックス)
その時の選択ポイントは、7人乗り以上、マニュアルシフト、4WD、排気量2000cc以下、
そしてガソリン車。
当時、その選択条件にあった自動車がマツダ社の「ボンゴ」。
それまで、中古車を乗り継いできたが、初の新車購入であったことも思い入れが深い。

そんなマイカーが、走行距離「90,000km」に達した。
単純に年数(18年)で割ると、年間走行距離は平均ジャスト「5,000km」。
距離数は短いがこんなに長く乗るとは思ってもみなかった。
老いも感じずまだまだ現役、これぞ日本車のクオリティーの高さか!
90,000kmというのが中途半端であるが、何はともあれ嬉しい。

オドメーター ジャスト90,000.0 km

購入時に唯一付けたオプションがキャリアー。
それも、普通着ける簡単に取り外しができるようなものではなく、カヌーやディンギーを積んでもビクともしないように、工事車両に着けるようなゴッツいタイプ。
そんな仕様にしたためもあってか、1年もたたないうちに、当時新たな業務で発生した運搬用車両に駆り出され、藤沢や橋本(神奈川県)、焼津(静岡県)等を往復する業務に酷使され、
それまでの6,000kmがアッと言う間に、40,000kmを超えることに。
快適なアウトドアライフを楽しむため、当時はまだ珍しかったフルフラットシートが、搬入する荷物で常に満載状態に。
さらには、そそっかしい社員が、ガードレールにぶつけバンパーをへこまし、フェンダーを擦り、ボロボロに。また、運転席では煙草の火をシートに落とし穴を開ける。
みるみる形をかえていく我が車。
まあ、実用車は飾り物では無く「乗って使ってこそ生きる道具」と思ってはいるものの、自分ではなく他人にキズつけられていくことが何とも忍びない。
4年ほどして、運搬業務から解放された頃には、フロント以外はいたるところに大小様々なキズ、へこみ、歪みが残る始末。(よくもフロントが無事だったものだ)
その後、キズやへこみを全て修理し、普通に休日のレジャーを中心に、特にアウトドアでは本来の機能性を発揮し活躍する。
10年を前にして、住居の事情が変わりワンボックスが駐車できないことをきっかけに、車の買い替えを検討するが、我が車の下取り価格は「0円」。年式も古く覚悟はしていたが、もう販売できない車で、普通であれば廃車処分費用をもらって処分されるのだとか。
何せ時代は「オートマ主流」。走り重視のスポーティーカー以外、マニュアル車は中古市場においても一切売れないとのこと。
外周りのみならずダンパー回りも新品に交換し、点検都度ブレーキ系統、電気系統等も交換、メンテナンスし、トラブルも1回も発生していない我が車。何より、心臓であるエンジンがすこぶる快調である。
下取り価格云々より、廃車で処分されてしまうことが心情的に納得できない。
ならば、実際に使用してくれる人にあげたほうが余程いいと、貰い手を探すも見つからずに現在に至っている。
今は、ワゴンタイプの乗用車と併用しており、年間走行距離も「3,000km」にも満たず少な目ではあるが、相変わらずアウトドアライフにはとても力強い相棒である。

私はもとより「物持ちがいい」ほうであり、性分が「もったいない」志向である。
ある中古車販売店の宣伝で「エコカーよりもエコロジー」(正確ではないかも)というキャッチコピーを目にしたことがあるが、私も全く同感である。
燃費の悪さや排ガスによる温暖化という問題点も当然あるが、まだまだ現役として使用できるものを処分してしまうことに、まず違和感を禁じ得ない。(買い替えによる消費経済効果は別問題として)
東南アジアの国々に行くと、日本の中古車がそのまま走っているのを良く目にする。
日本ではもうすっかり見かけなくなった50年式や40年式等、昭和の車を見かける都度、日本車の高い品質を誇りに思い、また、現役として活躍している車たちに輝きを感じる反面、日本では見かけない現状に残念な思いが重なる。

我が車(*愛車とは言わない)は、決して珍しい車でも、長く乗って価値ある車でもない。
が、私にとっての利用価値は高く、道具としての活躍度合を考慮して費用対効果も満足である。
したがって、道具として有効である限りは今後も使用し続けるであろう。
もちろん、次の楽しみは「100,000km」、メーター一回りである。
(友人で、プライベートのみの使用で、メーター二回りという強者もいるが)
年数から言って「100,000km」はたいした走行距離ではないが、ここまで来た以上、我が車の歴史の1ページとして無事に達成させてやりたい。
「90,000km」はそんな一通過点に過ぎないが、ほんの些細な幸せを感じ、今まで走り続けてくれた車に改めて感謝した瞬間でした。

*愛車とは言わない(あくまで私見です)
本文の通り、我が車「ボンゴ」は単なる道具(便利な道具)として考えており、使って初めて価値が出るものである。したがって、道具としての機能を損なわないためのメンテナンスはするが、必要以上に洗車や清掃したりはしていない。
また、私以上にこの車の利用価値があり使用していただける方がいれば、すぐに譲るつもりである。
(今般の震災の被災地でも有効であればと思い調べたが、やはりマニュアル車ということで敬遠された)
一方、「愛車」には文字通り「愛」があり、いつもピカピカにしてわずかな汚れも気になってしまう。
暇があれば、一緒にいたい、触っていたい。エンジンをかけ走る時、音にもそれに伴う振動にも感性をくすぐられる。多少、扱いにくいところがあっても、それをクセとして愛着を感じ、またそれを乗りこなすことでより征服感を感じる。
当然、何があっても人には譲りたくないが、事情により手放さなくてはならないときは、一晩車の中でバーボンを飲み一緒に過ごして別れを惜しむ。
そんな車を「愛車」と言う。(ちょっと極端なたとえ?)
「ボンゴ」には愛着もあり、手をかけ可愛がってもいる。でも、あくまで道具として見ておりそれ以上の感情移入はしない。

でも、もし手放す時がくれば・・・、
間違いなく一晩一緒にいることであろう。もちろん焼酎を持込んで。

日付2011/10/07

投稿者半澤 透

ブログ-四方山話-



PAGETOP