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第38話 赤信号を渡ろう|データベースの開発・構築ならデジログへ

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ア ク セ ス

第38話 赤信号を渡ろう

私が、我が子に言い聞かせ、実践してきたこと。
それは「赤信号を渡ろう」である。
これは「道路交通法」違反であり、特に初等教育においてあり得ない躾である。

私は数年前から頻繁にベトナムを訪れていたが、行く都度その成長の速さに驚かされる。
道路の舗装や巨大ビルディングの建設等、進歩が著しい。
また、道路の混み具合は相変わらずであるが、中国やタイがそうであったのと同様に、自転車からバイク、バイクから車への移行が進んでいることを感じる。

事故でもお祭りでも無いハノイの日常の交差点(信号有り)風景 ※27階の知人オフィスより

しかし、変わらないのが「ノールール が ルール」(私の主観です)ということである。
一応車線はあるが、幾重にも道路一杯に車両(特にバイク)が溢れかえる。
進入禁止や一方通行もお構いなし、信号もあるのかどうだかわからないほど守らない。
全ての車両(自転車、バイク、車等)が我先にと僅かな隙間を前へ前へと割り込む様は圧巻であり、四六時中自身の存在を知らしめるためクラクションの音が鳴り響き、バイクが歩道を走ることすら茶飯事である。
まるで「マリオカート」のごとし、である。

現地交通状況を一見すると「混乱」そのものであり、交通規則はあって無いに等しい。割り込むことも、対向から車が来ることも、信号を無視することも、バイクの5人乗りも、どこでも歩行者が横断することも・・・。
どうすれば事故が起きないかが、法律ではなくその「日常」の中で皆が認識している。
多少接触してもどうってことは無い、したがって現在の日本ではあり得ない距離感で、それを日常として運転している。
その距離感や在り様が、日本の現在の状況とはかけ離れているため、我々はヒヤヒヤするのであるが、そこに慣れてくると、どうすれば危なく、またどうすれば事故を防げるのかが何となく分かってくる。
そして、そこでは交通法規を守っていれば、事故に会わないという概念は存在しない。

今の日本では、信号を守り、車線を維持し運転していれば、事故を起こすことは少ないであろう。
これらは、道路事情や公共交通網の整備状況、また歴史、お国柄、生活環境の違いなど、様々な要因があり、その良し悪しを単純には判断できないが、少なくとも交通環境のみ考えれば、日本のほうが成熟していることは明白であり、ベトナムはその途上にある。
が、安全や危険回避に対する意識は、ベトナムや諸外国に学ぶべきところは大きい。

さて、冒頭の「赤信号を渡ろう」について、
これは、「信号に従っていれば、安全だとは限らない」、
「信号を守るより、命を守ることが重要である」ということを教えるためである。
いつもながら、やることは極端である。
よく、近年の日本に関し「平和ボケ」と言われるが、交通事故に限らず、犯罪に対する意識が諸外国と比較し希薄であることを指摘されることがある。
これはある意味、喜ばしい状態ではあるが、その危機感の無さ故に、海外のみならず国内でも痛ましい事故、事件に遭遇することがあるのも事実である。
まず、活動範囲の限られた児童にとって自身を守るために「交通ルール」を教えることは、もっともなことであるが、そのルールを知った上で、真に「危険」を回避するためには、「ルールを守る」こと以上にその場の状況判断が重要で、それは交通事故に限ったことでは無いと考える。

地域性や生活環境、また家庭環境の違いもあるだろうが、ウチでは一人で外出するようになる小学1年生の頃から、機会を見つけては「赤信号を渡る」ことを実践していた。
当然ながら、小学1年生の判断できることは限られるため、その場に応じた的確な状況判断など教えることは難しい。
実際に、それを我が子に実践した時、初めは
「赤信号は渡っちゃいけないんだよ」
と戸惑いを見せ、決して渡ろうとはせず、車の全く来ない信号を青になるまで待っていた。
それを繰り返すうちに、
「青信号が安全で赤信号が危険」では無く、「危険な青信号、安全な赤信号」もある、
ということを意識付けることはできたと考えている。
現実的には、ウチの地域において小学校1年生が一人「赤信号を安全に渡る」シチュエーションは皆無であろうが、大切なことは、その場面において自分で考えること、それは「ルールを守る」事ではなく、何が安全なのか、どうすれば安全なのかを自分で考え行動することにつきる。
「平和ボケ」により痛ましい事件、事故に遭遇することを避けるべく、真の意味で「自分の身を守る」ため、小学1年生(低学年)でもその状況を自分で考えさせる、そのキッカケとして「赤信号を安全に渡る」ことで意識付けができるものと考えているが、それは各家庭の責任において判断するもので、決して押し付けるものでは無いことは当然である。

これについては、反対意見も多数あることと思う。
以前によく行った西表島等、島内の生活上は必要性の無い信号を、小学生の教育上のために設置している地域もある。
また、道路事情によっては、決して渡ってはならない(渡れない)赤信号もあるであろう。
その地域、地域の状況や事情をよく考慮して「赤信号を渡る」以外の自分の身を守る意識付けが必要であることは言うまでもない。
あくまでも私的な意見であり、これを正論などとは思っていないが、「安全意識」に関しては公私にかかわらず、様々な場面でよく考えさせられる。
仕事に関連しては、システムセキュリティーのあり方、考え方等
最近のWEBサイトの画一的なログイン認証に関しては大きな疑問を感じることが多々ある。
また、嗜好的には、牛の生レバーの規制等々、
これらの持論については改めて述べさせていただきます。
が、まず「赤信号を渡る」より「歩きスマホ」のほうがはるかに安全意識が低いと考るが、
いかがであろうか?

日付2015/12/07

投稿者半澤 透

ブログ-四方山話-



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